あれから6年 東北宮城気仙沼へ 前編
これから先ストレスを感じてしまう写真が含まれております。
2月25日!私は仙台行きのバスに乗り東北へ向かった。
東北の現状を知っておきたい、このまま地震や津波のことを深く知らないで忘れられていくのは嫌だと想い被災地へ行くことを考えていた。
そんなときに
Twitterで流れてきた1枚の画像を目にしてアポをとりすぐに現地へ向かった。
まず最初に向かったのはリアスアーク美術館!
震災の遺品や写真。家と家の隙間に縦に車が刺さっていたりこれ?ほんとに起きたの?みたいな写真や遺品、トタン屋根、家電などが展示されていました。
一番印象的だった写真は、3分の1しか車が残っていなくて車のフロントから綺麗なひまわりが咲いてる写真です。
まだ行ったことのない方、地震や津波のことをよく知らない方には是非いってほしいです。
死者数は22000人
絵や文では残っているものの知っている方、覚えている方はほとんどいなかったみたい。
2011年3月11日、地震後町のアナウンスで8メートルの津波が来ます。10メートルの津波が来ますと女性が呼びかけていた、町の人は来たとしても2、3メートルだろなどと考えていた方も多かったそうです。
そこには1本の松があった
奇跡の1本松。
津波で何本もの松が流され奇跡的に1本残ったのだとか
凄いパワーを感じた。1本だけ残って少し寂しそうだったなぁ(*´ー`*)
よく見るとカラスの巣があった。なぜカラスはこんな風の当たるところを選んだのだろうか
また近くには1000000000000円かけて造られた何メートルも続く堤防があった。住民からはせっかくの海が見えなくなるなどの意見があったが行政が無理やり造ったらしい
1本の木で8人助かったという話もあり、堤防を作るなら木をたくさん植えた方がいいという意見もあった 100本の木があれば800人助かりますし、年月が立てば堤防よりも高くなるしね
また堤防の寿命は100年でまた補強工事をしなければいけないみたい
一本松近くのマンション
写真をよく見てみると最上階だけ窓ガラスが割れていないのがわかる。
このような建物も次々取り壊されたが今でも忘れないために残されることが決定したみたい
ガソリンスタンド旧看板
これも拡大して貰わないとわからないけれど看板上部に最高到達地点と書いてあるのがわかる。津波はほんとにここまで来たんだという猛烈な怖さがおそってくる
その夜現地の方とお話する機会があった!
あの時、どんな物資が必要でしたか??と質問すると、もちろん食料や毛布なども出たが一番は生理用品なんだって たしかに送る方は食料と服くらいしか思いつかないもんなぁ…
後編へ続く